90年代初頭に一世を風靡したテッシーこと、河原秀行(てしがわら ひでゆき)さん。
元新体操日本代表選手でタレントとして活躍していた山崎浩子さんとの婚約会見で一躍時の人になったことで知られています。
そんな河原秀行さんが旧統一教会の勅使として再び表舞台に出てきたことで世間の注目を集めています。
今回は、河原秀行さんの嫁や、勅使に選ばれた理由について調べてみました。
【旧統一教会】勅使河原秀行の嫁は住谷文子で幹部の娘?子供は4人か
元新体操日本代表選手の山崎浩子さんと、合同結婚式のマッチング相手として話題になった勅使河原秀行さん。
世間が注目する中、積極的にマスコミの前に姿を現し、その誠実な姿勢や長身イケメンなルックスと柔らかい雰囲気で世間から『テッシー』として親しまれました。
その後、山崎浩子さんとは、
合同結婚式に参加するも、入籍前に破談
するなど、話題性も抜群でしたが、破談後はテレビに出演する機会もなくなっていきました。
破談後、河原秀行さんは、務めていた大和証券を退職。
統一教会が開校したアメリカ・ニューヨーク州の『統一神学校(UTS)』に留学し、更に信仰を深めていったようです。
そして、山崎浩子さんとの結婚が破談になった2年後、勅使河原秀行さんは別の女性と結婚。
1995年8月25日に開催された合同結婚式にて、住谷文子さんという統一教会信者の女性と結婚しています。
この住谷文子さんは、統一教会幹部の娘で、統一教会内の劇団「世界家族芸術団」で女優として活躍していた女性だとも言われています。
ソウルのオリンピックスタジアムで行われた統一教会の合同結婚式に出席した勅使河原秀行さん(左)と住谷文子さん=25日午前11時10分(共同)
https://imagelink.kyodonews.jp/detail?id=3867260
残念ながら、住谷文子さんについての詳しい情報は見つかりませんでした。
ですが、勅使河原秀行が大手証券会社『大和証券』を退職し、旧統一教会の幹部として活動していることからも信憑性がありそうですね。
また、河原秀行さんは、
大学時代から教会の為に身を捧げたい
と話していたこともわかっています。
原理運動に熱中したせいか、勅使河原氏は4年生になっても卒業できず留年。
「筋金入り」の原理研メンバーになっていた彼は、大学卒業後の進路について、「教会の職員になって24時間教会に身を捧げたい、と思っていた」(関係者)
https://news.yahoo.co.jp/articles/0e1cebb0fa7df41d7bbcfb41d53683ec865dcb59?page=2
かなり教会に心酔していることが伝わっていきますね。
両親の説得もあり、一時は証券会社に就職しますが、結局旧統一教会に身を捧げるため、退職することを選択します。
河原秀行さんは、日本で『テッシー』として知名度を誇っており、またエリート出身です。
また、信者としての信仰心も深いため、統一教会幹部の娘との結婚が認められたのも納得ですね。
勅使河原秀行さんと嫁の間には子供が4人誕生し、4人とも優秀だとも言われています。
【旧統一教会】勅使河原秀行の嫁は山崎浩子の予定だった?
勅使河原秀行さんが注目された大きな理由は、
タレントの山崎浩子さんとの結婚(合同結婚式)
でしたよね。
元日本代表選手ということもあり、日本中から『旧統一教会』が注目されるビッグイベント。
そのため、旧統一教会が宣伝のため、誰もが羨むような優秀な人物・河原秀行さんが選ばれたとも言われています。
「勅使河原さんは京都大学を卒業し、当時は大和証券に勤務するエリートサラリーマンでした。
人気タレントだった女性に相応しい夫として、統一教会が宣伝に使ったのです。
https://news.yahoo.co.jp/articles/0e1cebb0fa7df41d7bbcfb41d53683ec865dcb59
また、この合同結婚式には、女優の桜田淳子さんも参加しており、注目度はかなり高かったようですね。
テレビのニュースでも大々的に取り上げられていました。
1992年8月25日に、韓国ソウルの『ソウルオリンピックスタジアム』で合同結婚式は行われました。
この合同結婚式では、日本人も1万人超が参加し、トータルで4万人以上の新郎新婦が参加していました。
2万800組もいるカップルの中で、河原秀行さんと山崎浩子さんは最前列かつ桜田淳子さんの隣に立っています。
このことからも、2人が広告塔の役割を担っていたことは間違いなさそうですね。
結婚相手は旧統一教会に決められた相手ではありますが、2人は結婚を承諾。
山崎浩子さんもウェディングドレス姿で結婚することを誓っています。
【旧統一教会】勅使河原秀行は山崎浩子に結婚直前に逃げられた過去
合同式まであげた山崎浩子さんと河原秀行さん。
韓国ソウルで結婚式はあげたものの、入籍はしていませんでした。
その理由として、山崎浩子さんの家族が必死に山崎浩子さんを統一教会(旧統一教会)から脱退させる説得をしていたからです。
山崎浩子さんのお姉さんは、1992年3月に亡くなった
母の一周忌が過ぎるまでは結婚は待つように
と、妹に伝え、喪にふくし、結婚は待つように訴えていたようですね。
その言葉を汲み、山崎浩子さんも入籍の時期を待っていた様子。
その間に、お姉さんは牧師さんとも一緒に妹への洗脳を解こうと必死に説得していたということです。
46日間の懸命な説得期間を経て、山崎浩子さんは脱退を決意。
1993年4月21日に記者会見を行い、旧統一教会から脱退宣言を行いました。
残念ながら会見の動画は既に削除されており、確認することはできませんが、旧統一教会から脱退するとのことで、
山崎浩子さんは信者ではないので、信者である河原秀行さんとの結婚は白紙になった
ということです。
婚約者に逃げられるという悲しい結末を迎えてしまった過去を、勅使河原秀行さんは経験したんですね。
河原秀行さんのご両親は、山崎浩子さんが旧統一教会から脱退したことに関しては、好印象だったようですね。
ですが、息子との関係については
きちんと会って話をしてほしい
と話しており、8ヶ月間仲睦まじくしていた息子と山崎浩子さんが関係を断つのは悲しかったようですね。
また、勅使河原秀行さんのご両親も息子が旧統一教会から脱退するよう、2度働きかけたこともあったとのこと。
ですが、勅使河原さんが教会を脱退することはなかったようです。
昭和時代に人気だった歌手・研ナオコさんの旦那との馴れ初めや、昭和時代に人気の女優・田中美佐子さんと旦那の馴れ初めについてもまとめているので、気になる方はチェックしてみてくださいね!